若狭湾の原発を訪ねて・・・
高浜原発
6月27日、高浜原発にMox燃料が入港するというので、高槻の仲間と抗議に出かけた。
朝4:00出発というので、高槻の家で一泊させていただいてから抗議行動参加でした。
ウラン・プルトニウム混合酸化物ペレットを積んだ「パシフィック・イーグレット号」は午前7時前に、高浜港に何事もないように静かに入港した。
3・11以降、Mox燃料の搬入は初めてである。
フランスで加工され、イギリスの専用船での搬入である。
陸上でも、警察官が厳重な警戒を随所で行っていたが、海上はさらに厳重な警備が敷かれていた。海上保安庁の鑑定が無数に配備され、意味ありげな航行を続けていた。
ヘリコプターも2機上空を常時旋回していた。
うわさによると、海上でも反対行動で、船をチャーターする動きがあったというが、不発だったらしい。
高浜原発3・4号基。関西電力は福島第一原発にある、重要免震棟をもたないため、高浜原発1・2号基の建屋の会議室を会議の場にする計画だそうである。
同じ敷地内の3・4号基のどちらかか一方が、または両方が福島事故のようなことが起きた時、関電社員・関係会社社員・原発作業員が1・2号基で収束作業に当たれるとは到底考えられない。
なんという杜撰な計画であろうか?
同じ事情は大飯原発にも当てはまるという。
そんな状況で、大飯原発の再稼働を許した政治家・許している規制庁の責任重大である。
高浜原発は、平成16年に共産党の吉井英勝議員(平成24年引退)が小泉内閣に津波の引き波2mで冷却水の取水口が機能不全に陥り、原子炉の冷却が不可能になると指摘した原発だ。
答弁書で小泉潤一郎は「想定外のことは想定していない」と答にならない答弁に終始した。
福島事故を小泉はどう考えているのだろうか?
このそそり立つ山が豪雨によって土砂崩れを起こしただけで、最悪の場合、原発冷却機能は失われる。
素人の僕が考えてもわかることを専門家はなぜ見て見ぬ振りができるのだろうか?
大飯原発有識者会合で、地滑り論を唱えて、ひとり活断層論に反対し、専門家グループの意見の集約を阻害した立命館大学の岡田教授に説明させてみたい。
僕は、先月から電力料金を関西電力本店に直接支払うことにしている。
今月分を支払いに行くときに、この写真をもって、受付担当職員に土砂崩れでも原発冷却不能の事故を起こす可能性を指摘してきたいと思っている。
だいたいにおいて、活断層でなければ安全だというようなとんでもない屁理屈が有識者によって検討されていること自体が大間違いである。
自然の災害など、人知を超えたものが起こり得るのは当然である。したがって世界から原発は全面的になくさねばならない。
僕たちは抗議の声を、多くの人がスピーチとして上げ続けたが、入港を阻止することはできなかった。グリーンアクションのアイリーンさんや、フランス人で反原発運動をしている LE PAPE Jaen(ル・パップジャン・ポールさん)もスピーチを行った。
アイリーンさんのスピーチは力強く説得力があった。
アイリーン・美穂子・スミスさん LE PAPE Jaenさん
警察官はこの周辺にも無数にいて、抗議行動の人数よりもはるかに多かった。薄いブルーのシャツを着ているのはすべて警察官。
総じて、警察官も静かな警備で、交通安全が本務のようだった。
僕たちは高浜原発正面ゲート前では抗議の申し入れ行った。この中には参議院議員候補の長谷川羽衣子さん、松本なみほさんも参加していた。長谷川さんとはFace bookでやり取りがあり、顔だけは知っていたので挨拶をした。松本さんは帰ってきてからお名前を知った。
長谷川さんとは2・3の全国集会で会ったことがあるが、おそらく彼女には僕の存在は認識されなかったに違いない。しかし、今回は挨拶もできたので、多少の面識ができたと思う。
外に出て行動することは、同じ思いを共有する仲間の輪を広げていくことなのだ。
ネットだけでは決して進まない信頼関係の輪の広がりなのだ。
残念ながら、我が国の国民性は、原発に対して、曖昧な意見をもつ人が圧倒的に多い状況である。不安を感じながらも、率先して反対運動には参加できない。そんな人が多いのが今の日本人だ。
あれだけの悲惨な事故を経験して、いまだに反原発に舵を切れない人たちの神経を疑う。
明確に反原発に舵を切れない大多数の大手マスコミ、裁判関係者、そして多くの国民、彼らが結果的に中立的立場を取らざるを得ないと感じている中で、推進派は遠慮会釈なく強引に再稼働に向かっている。
僕と長谷川さんの出会いはほんの10秒足らずで、お互いが信頼関係を築くには到底至っていない。
それでもよいのである。3度・4度とお会いする機会があれば、それなりの信頼感もきっと生まれてくる。
僕はそれが行動による、輪の広がりだと信じている。
今は、明確な反対を唱える人が少数派であろうことは、衆議院議員・参議院議員選挙で明かになっている。
しかし、僕は負けない。
表に出て、信頼の輪を広げていくことが未来の人が反原発に舵を切る種まきをしている。
そう信じている。
今回のMox搬入反対行動は、僕を含めて、4人の仲間で参加した。
以前からよく知りあった仲間であるが、今回の行動で揺るぎない信頼で結ばれた。
少数派であることに微塵の寂しさも、苦しさも感じない。
お互いがお互いのめげそうになる心を支え合って行ける、そんな確信をもった旅だった。
余談だが、僕の家の郵便ポストには、「チラシ広告いりません。」「原発いりません。」「自民党いりません。」と張り紙をしてある。
6月29日、敦賀市の西誓寺を訪ねた。
西誓寺のご住職、岡山巧さんは、「原発行政を問い直す宗教者の会」の中心メンバー。
檀家の中に、敦賀原発の作業員が被曝労働の末にがんを発症して亡くなった方がおられて葬儀を重ねている。と聞き、予約を取れればいつでもお話を聞けると聞いて、「若狭ゆずり木平和祭」に合わせての旅だった。
http://www.yuzurigi.musicadeira.com/ja.html
お話は一方的に聞くだけではなく、僕からもいろんなお話をした1:1の約2時間だった。
①教え子が被曝労働死をした、元養護学校教諭のお話し【別紙資料「08敦賀全国集会」】
②原発廃絶は大消費地の住民の声を!
③原発建設を目指した電力会社の住民情報収集
こんな内容のお話しだったが、それ以外にも敦賀半島の原発があるほうを西浦、対岸を東浦といい、東浦にも甲状腺がんや、白血病患者が多く発症していると聞いた。
福島事故のような爆発事故を起こさなくても原発周辺には、癌患者が多数存在するのだ。
被曝労働関連死については、あまり詳しくお聞きできなかった。
より、その実態を詳しく知りたくて、「福島原発と被曝労働」という本の共同著者・寺西清先生とお会いして、お話を聞く機会があった。
寺西先生によると、「岡山住職が詳しくお話しできなかったのは当然です」僕がまとめた報告を丁寧に読まれて、「ここから始まるのです。私たちが、福島原発被曝労働を取材し始めたのは30年前で、最初は『帰れ!』と追い返されることも度々でした。」「また、来ます。とお話しして、何度も何度も伺った末に、やっと本音が聞けるようになった。」というお話しでした。
被曝労働の実態を掴むのは容易ではないだと感じた。
敦賀原発
時間的には、前後するが西誓寺訪問の前に、時間があったので敦賀原発を見てきた。
正面ゲートから原発の方向の写真撮影をしようとしたら、警備員が飛んできて「撮影はお断りしています。」という。『公共施設だから、なぜ撮影禁止なのか?大飯原発では断られなかった』などと反論してみたが、埒があかなかった。
しかたがなしに撮った原発と反対側の海である。
警備員は、明かに僕の車の車体ナンバーをメモしていた。
写真撮影は禁止されていたが、原子力館の近くには警備員がいなかったので何枚か撮影した。
原子力館には、こんな冊子があった。
中を開くと・・・
トラブル報告 1
トラブル報告 2
敦賀原発1号機は、福島原発で事故を起こした、沸騰水型の原発で、1970年(昭和45年)3月14日、運転開始である。トラブル報告を見るとすでに、3月26日にはトラブルがあった。さらに、翌年・昭和46年には8件のトラブル報告が上がっている。
東電見る限り、電力会社の隠蔽・捏造は常識のようだから、実際にはもっと多いだろうし、もっと危険なのではないだろうか?
原子力館からは、より近くに、原子炉が見えた。写真を取っていると、若い女性の受付の職員が「写真撮影はお断りしています。」と注意を受けた。既に撮った後のものについてはとやかく言われなかったので、そのままにした。
この女性に、『僕は原発には反対です。職員の方も、不安を感じていると思います。社内から原発を廃絶するようにはたらきかけていただけないでしょうか?』と言うと、女性の顔が歪んだ。
若い女性だったので、少し気の毒な思いをした。
原子力館は無料で入館できる。中には子供連れの若い親が何組か入っていた。
高浜原発
6月27日、高浜原発にMox燃料が入港するというので、高槻の仲間と抗議に出かけた。
朝4:00出発というので、高槻の家で一泊させていただいてから抗議行動参加でした。
ウラン・プルトニウム混合酸化物ペレットを積んだ「パシフィック・イーグレット号」は午前7時前に、高浜港に何事もないように静かに入港した。
3・11以降、Mox燃料の搬入は初めてである。
フランスで加工され、イギリスの専用船での搬入である。
陸上でも、警察官が厳重な警戒を随所で行っていたが、海上はさらに厳重な警備が敷かれていた。海上保安庁の鑑定が無数に配備され、意味ありげな航行を続けていた。
ヘリコプターも2機上空を常時旋回していた。
うわさによると、海上でも反対行動で、船をチャーターする動きがあったというが、不発だったらしい。
高浜原発3・4号基。関西電力は福島第一原発にある、重要免震棟をもたないため、高浜原発1・2号基の建屋の会議室を会議の場にする計画だそうである。
同じ敷地内の3・4号基のどちらかか一方が、または両方が福島事故のようなことが起きた時、関電社員・関係会社社員・原発作業員が1・2号基で収束作業に当たれるとは到底考えられない。
なんという杜撰な計画であろうか?
同じ事情は大飯原発にも当てはまるという。
そんな状況で、大飯原発の再稼働を許した政治家・許している規制庁の責任重大である。
高浜原発は、平成16年に共産党の吉井英勝議員(平成24年引退)が小泉内閣に津波の引き波2mで冷却水の取水口が機能不全に陥り、原子炉の冷却が不可能になると指摘した原発だ。
答弁書で小泉潤一郎は「想定外のことは想定していない」と答にならない答弁に終始した。
福島事故を小泉はどう考えているのだろうか?
このそそり立つ山が豪雨によって土砂崩れを起こしただけで、最悪の場合、原発冷却機能は失われる。
素人の僕が考えてもわかることを専門家はなぜ見て見ぬ振りができるのだろうか?
大飯原発有識者会合で、地滑り論を唱えて、ひとり活断層論に反対し、専門家グループの意見の集約を阻害した立命館大学の岡田教授に説明させてみたい。
僕は、先月から電力料金を関西電力本店に直接支払うことにしている。
今月分を支払いに行くときに、この写真をもって、受付担当職員に土砂崩れでも原発冷却不能の事故を起こす可能性を指摘してきたいと思っている。
だいたいにおいて、活断層でなければ安全だというようなとんでもない屁理屈が有識者によって検討されていること自体が大間違いである。
自然の災害など、人知を超えたものが起こり得るのは当然である。したがって世界から原発は全面的になくさねばならない。
僕たちは抗議の声を、多くの人がスピーチとして上げ続けたが、入港を阻止することはできなかった。グリーンアクションのアイリーンさんや、フランス人で反原発運動をしている LE PAPE Jaen(ル・パップジャン・ポールさん)もスピーチを行った。
アイリーンさんのスピーチは力強く説得力があった。
アイリーン・美穂子・スミスさん LE PAPE Jaenさん
警察官はこの周辺にも無数にいて、抗議行動の人数よりもはるかに多かった。薄いブルーのシャツを着ているのはすべて警察官。
総じて、警察官も静かな警備で、交通安全が本務のようだった。
僕たちは高浜原発正面ゲート前では抗議の申し入れ行った。この中には参議院議員候補の長谷川羽衣子さん、松本なみほさんも参加していた。長谷川さんとはFace bookでやり取りがあり、顔だけは知っていたので挨拶をした。松本さんは帰ってきてからお名前を知った。
長谷川さんとは2・3の全国集会で会ったことがあるが、おそらく彼女には僕の存在は認識されなかったに違いない。しかし、今回は挨拶もできたので、多少の面識ができたと思う。
外に出て行動することは、同じ思いを共有する仲間の輪を広げていくことなのだ。
ネットだけでは決して進まない信頼関係の輪の広がりなのだ。
残念ながら、我が国の国民性は、原発に対して、曖昧な意見をもつ人が圧倒的に多い状況である。不安を感じながらも、率先して反対運動には参加できない。そんな人が多いのが今の日本人だ。
あれだけの悲惨な事故を経験して、いまだに反原発に舵を切れない人たちの神経を疑う。
明確に反原発に舵を切れない大多数の大手マスコミ、裁判関係者、そして多くの国民、彼らが結果的に中立的立場を取らざるを得ないと感じている中で、推進派は遠慮会釈なく強引に再稼働に向かっている。
僕と長谷川さんの出会いはほんの10秒足らずで、お互いが信頼関係を築くには到底至っていない。
それでもよいのである。3度・4度とお会いする機会があれば、それなりの信頼感もきっと生まれてくる。
僕はそれが行動による、輪の広がりだと信じている。
今は、明確な反対を唱える人が少数派であろうことは、衆議院議員・参議院議員選挙で明かになっている。
しかし、僕は負けない。
表に出て、信頼の輪を広げていくことが未来の人が反原発に舵を切る種まきをしている。
そう信じている。
今回のMox搬入反対行動は、僕を含めて、4人の仲間で参加した。
以前からよく知りあった仲間であるが、今回の行動で揺るぎない信頼で結ばれた。
少数派であることに微塵の寂しさも、苦しさも感じない。
お互いがお互いのめげそうになる心を支え合って行ける、そんな確信をもった旅だった。
余談だが、僕の家の郵便ポストには、「チラシ広告いりません。」「原発いりません。」「自民党いりません。」と張り紙をしてある。
6月29日、敦賀市の西誓寺を訪ねた。
西誓寺のご住職、岡山巧さんは、「原発行政を問い直す宗教者の会」の中心メンバー。
檀家の中に、敦賀原発の作業員が被曝労働の末にがんを発症して亡くなった方がおられて葬儀を重ねている。と聞き、予約を取れればいつでもお話を聞けると聞いて、「若狭ゆずり木平和祭」に合わせての旅だった。
http://www.yuzurigi.musicadeira.com/ja.html
お話は一方的に聞くだけではなく、僕からもいろんなお話をした1:1の約2時間だった。
①教え子が被曝労働死をした、元養護学校教諭のお話し【別紙資料「08敦賀全国集会」】
②原発廃絶は大消費地の住民の声を!
③原発建設を目指した電力会社の住民情報収集
こんな内容のお話しだったが、それ以外にも敦賀半島の原発があるほうを西浦、対岸を東浦といい、東浦にも甲状腺がんや、白血病患者が多く発症していると聞いた。
福島事故のような爆発事故を起こさなくても原発周辺には、癌患者が多数存在するのだ。
被曝労働関連死については、あまり詳しくお聞きできなかった。
より、その実態を詳しく知りたくて、「福島原発と被曝労働」という本の共同著者・寺西清先生とお会いして、お話を聞く機会があった。
寺西先生によると、「岡山住職が詳しくお話しできなかったのは当然です」僕がまとめた報告を丁寧に読まれて、「ここから始まるのです。私たちが、福島原発被曝労働を取材し始めたのは30年前で、最初は『帰れ!』と追い返されることも度々でした。」「また、来ます。とお話しして、何度も何度も伺った末に、やっと本音が聞けるようになった。」というお話しでした。
被曝労働の実態を掴むのは容易ではないだと感じた。
敦賀原発
時間的には、前後するが西誓寺訪問の前に、時間があったので敦賀原発を見てきた。
正面ゲートから原発の方向の写真撮影をしようとしたら、警備員が飛んできて「撮影はお断りしています。」という。『公共施設だから、なぜ撮影禁止なのか?大飯原発では断られなかった』などと反論してみたが、埒があかなかった。
しかたがなしに撮った原発と反対側の海である。
警備員は、明かに僕の車の車体ナンバーをメモしていた。
写真撮影は禁止されていたが、原子力館の近くには警備員がいなかったので何枚か撮影した。
原子力館には、こんな冊子があった。
中を開くと・・・
トラブル報告 1
トラブル報告 2
敦賀原発1号機は、福島原発で事故を起こした、沸騰水型の原発で、1970年(昭和45年)3月14日、運転開始である。トラブル報告を見るとすでに、3月26日にはトラブルがあった。さらに、翌年・昭和46年には8件のトラブル報告が上がっている。
東電見る限り、電力会社の隠蔽・捏造は常識のようだから、実際にはもっと多いだろうし、もっと危険なのではないだろうか?
原子力館からは、より近くに、原子炉が見えた。写真を取っていると、若い女性の受付の職員が「写真撮影はお断りしています。」と注意を受けた。既に撮った後のものについてはとやかく言われなかったので、そのままにした。
この女性に、『僕は原発には反対です。職員の方も、不安を感じていると思います。社内から原発を廃絶するようにはたらきかけていただけないでしょうか?』と言うと、女性の顔が歪んだ。
若い女性だったので、少し気の毒な思いをした。
原子力館は無料で入館できる。中には子供連れの若い親が何組か入っていた。
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by to_sisyun
| 2013-07-25 22:12